こんにちは。中東放浪記も残すところあと2カ国です。
エジプト・カイロにて、無事に中東陸路旅を完走した私たちは、ボーナスステージへ突入です。
なかなか取ることのできない長期休暇です。無駄にはできません。
旅の疲れも溜まってきて、日本に帰りたい気持ちも強くあるのですが、行ける時に行けるだけ行っておきたいと思います。
日本からトルコへ出発した時以来の飛行機を使用し、イタリアローマを経由してやってきたのはアルバニア。生涯通算110カ国目の国です。
皆さん、アルバニアという国、ご存知ですか?似た名前の国に、アルメニアという国もあるのですが、こちらもご存知ですか?
ギリシャの北のバルカン半島にあります。
なぜアルバニアにやってきたのか。
いつの日か、世界のすべての国(約196カ国)をすべて訪れるのが夢です。
以前放浪していた時に、バルカン半島のほとんどの国は訪れましたが、時間的な都合で、アルバニア、モンテネグロに行くことができずにいました。この2カ国を訪問すると、バルカン諸国(旧ユーゴスラビア圏)の国はすべて制覇です。
アルバニアの歴史はとてもユニークです。
人が住み始めたのは紀元前2000年よりも前です。イリュリア人が興したイリュリア王国です。
その後、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の支配下に置かれます。
14世紀にオスマン帝国に侵攻されます。その侵攻にに抗い、祖国を救った国民的英雄がスカンデルベグです。
首都ティラナには、彼の功績を讃えるスカンデルベグ広場があり、彼の銅像が立っております。
しかし、彼の死後、結局オスマン帝国に侵攻され、ここから400年間、オスマン帝国の支配下に置かれます。
もともとキリスト教を信仰していた人々はイスラム教徒に改宗を余儀なくされます。
スカンデルベグ広場の一角には今でもモスクが存在します。
文化的にも大きな影響を受け、世界遺産のジロカストラ、ベラトの街並みはやはりトルコを彷彿させます。
ジロカストラ城
斜面に広がる建物の屋根はすべて石造です。
千の窓の街と言われるベラト。建物たちがとっても可愛い。
でもこちらも斜面の街。道幅は狭く、坂か階段。重い荷物では一苦労。
スーツケースは引きずることはできません。石も長年踏み歩かれたことによってツルツルになっていて雨が降ると滑ります。足腰が弱い方はどうやって生きていくのでしょうか。
斜面の上にある宿からの絶景。
街歩きをしていると、モスクからのアザーンと、教会の鐘の音が同時に聞こえました。
とても奇妙でアルバニアらしい光景だと感じました。
さて近代のアルバニアの歴史ですが、さらにユニークなことになっていきます。
1912年に独立を果たします。
1941年にホッシャが実権を握ると、社会主義国家になっていきます。
(先述の、スカンデルベグ広場にある、いかにも社会主義な壁画。)
その、社会主義もまた、ちょっとユニーク路線です。
スターリン主義のソ連と仲良くやっていたものの、1956年よりフルシチョフがスターリン批判を始めると、ソ連と断交し、今度は、中ソ対立が起こる中、毛沢東率いる中国と仲良くなります。しかし、その中国とも、毛沢東の死後、断交してしまいます。
そしてなんと、1978年から、1990年まで鎖国をしてしまうのです!!!
ソ連を仮想敵国として常に戦闘体制をしき、国民に武器を配り、人口280万人に対し、なんと75万個ものトーチカ(戦闘時の防衛施設)を建設しました。
しかし、結局ソ連が攻め込んでくることはなく、トーチカは一度も役目を果たすことなく廃墟となります。ですが、その頑丈さゆえ、、、、現在でも解体も難しく、今でも国内の至る所でその姿を見ることができます。
保存状態の良いものは、ミュージアムやお店になっています。
レンタカーで移動中の郊外にもポコポコ出没します。(ドライブ中に見かけてもなかなか写真に収めることが難しいです。)
また、同時期アルバニアは世界で初めて、無神論を宣言しました。政府が国内での一切の信仰や、宗教活動を禁じたのです。歴史の中で、キリスト教からイスラム教へ改宗されたのち、今度は神はいないと無神論を強いられました。
その後、1992年の開国とともに、宗教の自由も取り戻しますが、アザーンと鐘の音が同時に鳴り響く光景に翻弄された歴史の重みが響きます。
でも、まだあるんです。ありえない、信じがたいアルバニアの珍歴史。
開国され、資本主義経済が導入されたアルバニア。しかし、国民にはまだ資本経済の知識が浸透していなかったためか、国民の多くがねずみ講に手を出します。そして、1997年、ねずみ講が破綻し、国民の3分の2が全財産を失うという前代未聞の事件が起こります。
破産者たちは暴動を起こし、一時期無政府状態に陥りました。
これまでヨーロッパ最貧国ともいわれていたアルバニアですが、首都ティラナの街並みはヨーロッパとほとんど変わりません。
高層ビルに
ちょっとソ連っぽい集合住宅。
かつての独裁者ホッシャを讃える博物館はその後しばらく廃墟だったようですが、現在は、市民が集う複合施設に生まれ変わっています。
ピラミッドに沿って階段があり、登るとティラナの街を一望できます。周りには傾いたデザインの建物がたくさんあり、オフィスや講堂になっています。1つ前のブログのエジプトの建物のように、傾いてきたわけではありません。
信号は、柱まで色が変わるという、世界で初めて見るタイプです。
Tの文字に光る信号。ティラナのTかな?
次回は、レンタカーでお隣の国、モンテネグロへ向かいます。