こんにちは。
山菜がスーパーに並び始め、春を感じます。山菜の天ぷらを毎年楽しみにしています。
函館の桜はもう少し先のようです。
旅好き代表の中東陸路旅の旅レポート、本日はオマーンです。
オマーンという国、どこにあるかご存知ですか?
アラビア半島の先端にある国です。
2015年にも一人旅で訪れておりますが、その時は、インド人の出稼ぎ労働者と思われる男性にホテルの前まで追いかけられ、出歩くのも怖くなり、数日で次の国に出国してしまいました。(ホテルの受付の方が色々と助けてくれました。)
そんな、あまり良い印象のないオマーンだったのですが、今回一緒に旅行をしている主人は行ったことがないため、彼に付き添い2度目の訪問です。
UAE・ドバイでレンタカーを借り、自分たちでドライブしながらの越境を予定していたのですが、ここでとんでもないハプニングが起こりました。
UAEの国境でオマーンへ出国のための手続きをしていると、なんと電子システム上に、私がUAEに入国している記録がないというのです。
私のパスポートには入国スタンプが押してあります。でもパソコン上のデータに私の名前がないようなのです。
複数人のスタッフがパソコンと睨めっこしながら、あれやこれや話をしています。
しばらく待たされた挙句、、、、入国した入国管理所に戻り、入国したというデータを入れてくるように言われました。
パスポートにはスタンプがあるのにおかしい!とこちらも講義をしますが、この国境ではどうしようもなく、申し訳なさそうに入国した国境施設に戻るよう言われます。
というのも、UAEはアラブ”首長国”連邦なのです。私がUAEに入国したのは、イランからのフェリーが到着する『シャルジャ』という首長国。そして、オマーンへの出国をしようとしていたのは『アブダビ』という首長国。主張国が違うから、アブダビ側の国境ではどうしようもないと言うのです。
こうなるともう、どうしようもありません。トラブルを起こしても誰も助けてくれません。下手したら国外退去などになってしまいます。
(returnedのスタンプと共に突き返されたパスポート)
おとなしく、200キロの道のりを走り、シャルジャの入国管理所に戻りました。ここでも無駄に2時間ほど待たされ、なんとか入国データをシステム上に入れてもらいました。
そして、また200キロの道を走り、アブダビのオマーン国境へ戻りました。近未来的なUAEの街中を走るのはとても面白いのですが、時間帯によってはとんでもない渋滞です。
郊外に行くと、高速道路では、制限速度は140キロです。
この日の午前中にはオマーンに入国できるはずであったのに、再度国境に到着したのは夜10時。この日の越境は諦め、国境の近くのホテルで1泊しました。丸1日無駄になってしまいました。レンタカーの返却日は決まっているので、オマーンを観光できる日数が丸1日減ったことになります。
さて、もやもやした気持ちではせっかくの旅行を楽しめません。切り替えが大切。こういったトラブルまで無料特典でついてくるのが、”放浪旅”です。トラブルも美味しいネタだと、残さずいただきましょう。(笑)
さて、8年ぶりのオマーンです。前回は路線バスでの移動でしたが、今回はレンタカー。
好きな時に停車し、面白いものを見つけたらUターンして戻る。自分たちで好きなように動けるが最大の魅力ですね。
窓の外の景色は、場所場所で異なり、見ていて飽きることがありません。
高台を見つけると、車を降りて登りたくなってしまいます。
オマーンはUAEほど出稼ぎ労働者がいません。しかし、古代からのダウ船貿易で、インド系アフリカ系、そしてその混血とさまざまな民族をルーツに持つ方がいらっしゃいます。
古来の方法でダウ船を作る工房ミュージアム。何百年も前からこの木の船でインドやアフリカと交易をしていたと思うと歴史の浪漫を感じます。
オマーンの街を歩いていても、アジア系の旅行者に会うことはほとんどありません。(欧米人はわずかながらいました。)
アジア人の私たちを見て、オマーンの人々は”Japanese?”と声をかけてくれます。
私は少し驚きです。
というのも、100カ国以上旅をしてきて、私のようなアジア人を見ると大抵、”Chinese?”、”ニーハオ”、”チンチョンチャン(中国語の発音を少し小馬鹿にしてからかってくる。)”と声をかけられます。オマーンの人々は必ずといっていいほど”Japanese?”と聞いてくれるのです。
正直、日本人にとって、オマーンはかなりマイナーで、たぶん場所すら知らない方が多いのに、、、どうしてか。
調べて見ると、オマーンはとっても親日国家で、東日本大震災の時にも多大な支援をしてくれたのです。
でもそれがどうしてかと申しますと、
先先代の国王がなんと、日本人女性と結婚されているのです!!
日本人と結婚するために退位をなさり、日本で暮らしていたようですが、娘のブサイナ王女は日本人のハーフでいらっしゃいます。(日本人妻の大山清子さんは23歳の若さで亡くなられ、国王と王女はオマーンに帰国されました。)
それゆえ、日本を身近に感じでくれているのです。
前回の訪問ではあまり良い思い出が無かったのですが、今回は会う人会う人とても丁寧で優しくて、オマーンのイメージが一気に変わりました。
そんなオマーンの中でも一番好きになった街がこちらアル・ハムラという小さな街です。
砂漠地帯に現れるなつめやしのオアシスに囲まれた街です。
到着と共に日が暮れたので、街歩きは翌日にして、ホテルにチェックイン。
そのホテルが、また伝統的な土壁のお部屋でとっても可愛かったです。
土壁は寄りかかるとすこし衣服に土がついてしまいますが、保温機能に優れており内部の温度は一定に保たれます。
1日の温度差が激しい砂漠気候で快適に生活する先人の知恵ですね。
雨が多い気候では、土の家は溶けてしまいます。降水量が少ないからこそ土壁の家が作れます。
でも、水がなければ人々が住むことができません。でもここはオアシス。
街には水路が掘られていて、透き通った綺麗な水が流れています。
オアシス都市ってすごい。
翌朝、街歩きをしていると、暗くてみえなかった建物たちが実は、ほぼほぼ廃墟であることに気づきました。
私には、この光景が感動するほどとても美しく映り、何度も何度も狭い路地を行き来しました。
『土でできた家は、役割を果たすと土に還る。』
すべての物事は始まった瞬間、終わりが訪れることが約束される。
どんなことにもあてはまる、当たり前のことを、改めて教えてくれている、そんなふうにも感じました。
これまでに数えきれないほど観光地を巡ってきましたが、お金がある場所は、きれいに改修、補修がされています。
残していくことは大切ですが、たまにやりすぎていてわざとらしく感じることがあります。
これで良い。
すべてのものに、すべてのいのちに、終わりがあるからこそ美しく尊い。
そんなことを感じながら、後ろ髪を引かれる思いでこの街をあとにしました。
2度目のオマーン。前回のいやな思い出があったので行くことに正直乗り気では無かったのですが、今回再び訪れることができて本当に良かったです。初回訪問のイメージが180度覆され大好きな、また行きたい国の一つになりました。
オマーン、マイナーですがおすすめな国の一つです。ぜひ私たちと一緒に行きましょう!